私の物語
私は双子の姉妹で、日本海側にある新潟県三条市で生まれ、幼少期から音楽やアート、クリエイティブな事に夢中な子どもでした。
私の父は東宝映画のシナリオライター&プロデューサーで、母は演劇舞台女優とシンガーソングライター、モードクリエイター、作家とマルチアーティスト、アートファミリーなの中で刺激的な幼少期を過ごしました。
私は東京の青山で育ちました。この街は大都会でファッションの魅力でもとても有名です。
中学から京都を拠点に移し、音楽の専門的な高校に通いながら、歴史豊かな古都で6年間を過ごしました。
両親の助けと励ましのおかげで、私は豊かな環境で音楽を学ぶことができました。 専攻はフルートでしたが、ピアノ、室内楽、ソルフェージュ、オーケストラ、ミュージカルと様々なクラスを楽しみました。
音楽人生で最も温かく懐かしい思い出は、9歳の頃から自分の曲を書き始めた事です。 風の中を飛ぶ鳥のように自由を感じながら日記のように歌が降ってきます。
20 歳のとき、私は初めて日本を離れフランスに到着し、音楽院に入り、パリの生活、フランスの文化、そのモニュメント、偉大な歴史的な作曲家や画家、作家たちを肌で感じることができました。
留学時代に私が挑戦した最初のフルートコンクールの 1 つで、母国の日本を想い、邦人の残した作品であるフルートの独奏曲を演奏しました。
これは尺八スタイルを多く取り入れたフルートのための作品で、審査員の有名なフルート奏者の一言が私を尺八への情熱を誕生させました。
「あなたはせっかく日本人として生まれたのに、なぜ伝統的な日本の竹笛を吹かないですか?
あまりに唐突で、今まで考えたこともなかったほど、ごく自然な当たり前のことでした。
それから、日本人としてのアイデンティティーに目覚め、尺八、唄、ダンス、和洋裁などの工芸品など、母国の豊かな伝統文化の素晴らしさを改めて感動してゆき、情熱を注いでゆくようになりました。
フランスに来たからこそ生まれた心でもあります。「フランス」は私にとって第二の故郷です。
私が一体誰であるか?を知ることができたフランス。
私は、日本にまだまだ眠っている素晴らしい着物たちをリメイクした新しい息吹の作品を、感性豊かな一人でも多くのフランス人やヨーロッパの人たちに届けるために、フランスと日本のアートの絆を結ぶ架け橋となれれば、とても幸せです。